私にとっての難しさ
先日私の部屋でサークルの会合を開きました。
昼から深夜2時あたりまで、12人ほどが集まりました。
私はなんとなく、座る場所さえあれば他には問題ないと思ってました。
でもでもでも
問題ありました。
私の見通しが甘く、来てくれた人に不快な思いをさせてしまいました。
私の反省を書き残しておこうと思います。
お金について
途中参加の人は、とか、嫌いなものがある人は、とか、お酒が飲めない人は、とか
会費についてあらかじめ決めておいたつもりでしたが、他の人が差し入れとか買い足ししたため清算が大変でした。
買ってきてほしくなかったものもあったと思います。
でもどんなに頑張っても、好みとか多少はあるので、一律○円、みたいに決めておいてしまった方がラクだったと思います。
てか普通に飲み会行けば一律○円になるわけですし。
私の私物について
正直あまり手を触れてほしくないものもあったりする。
でもみんなどんどん触れていく。
事前に、そのあたりしっかり言っておくべきでした。
常識について
今回の争点。
・深夜に外で騒がないこと。
近所迷惑に関してどこまでみんなが意識を共有できるか、この人数をチェックするのは容易ではない。大人数で開催するとすればほぼ避けらない問題になると今回深く思った。個人としての意識がそこそこあったとしても、主催者として統制ができるのは5、6人までだと痛感。
なんかまだあったような気もしますがとりあえずこのあたりで。
私は問題が起きても、他人から煽られても怒りたいとは思わない。
ただ、一応3、4か月一緒に講義受けたりした人たちが、徐々にすれ違っていくこと、実は認識にかなり差があったこと……あっこんな人だったんだー、と気づいてしまうと、大きな溝が簡単にできてしまいます。
そしてそれは今まで埋めることはできなかった。
距離ができるだけで終わる。
私から距離を埋める努力が必要である。
私から努力をしても、変えられないこと……向こうの人の認識とかあるので、結局は努力して絶望して距離がますます広がる悪循環が待っています。
それでも私に非があると思い続けられる限り、私は努力し続けると思うけど。
今回もこれは単なるきっかけというだけで、以前から存在していた問題です。
元々、私のことは好きじゃない、むしろ嫌いな部類だった。
でも、私がやると言ったし、飲みに行くより安いからまあいいやと出かけてみた。
やっぱり気に入らない奴の家なんかに行くんじゃなかった。まあ色々便利だったし本人も気にしてないからいいか。
相手から見たらこんなくらいのことだったんだと思う。さっき、距離を埋める努力云々とか言ったけど、元々距離があったんだと思う。
それを、私が見て見ぬふりをして目をそらして、考えないようにして、楽しい側面だけ見続けているから、私は会った当初が一番楽しくて、時間がたつにつれて人間関係を辞めたくなるんだと思う。
今後のことを考えると、人間関係は大学にいるうちは絶対に頑張ると決めているので、サークルは続けたいと思います。サークル活動自体に支障がなければ。
でも、ぶっちゃけるとやめたい。人間関係は社会人に必要だと思うし、トレーニングを今のうちにやっておくことは無駄ではないと思うけど、私には友だちができないし、要らないし、続かないってことが明確になってきてしまった。
努力さえすれば、私が我慢さえすれば友だちができるのかもしれないし、友だちと呼んでいいのかもしれない。
ただ楽しい楽しいと言っていれば友だちになれるのかもしれない。
でも私はそれを友だちと呼びたくない。そういう人が友だちと呼ばれるなら、私は友だちなんていらないと思った。
そもそも私は、自己完結性が高いんだと思う。私が自分に求めていることはなかなか多いと思う。できるようになりたいことはたくさんある。
でも友達にやってもらいたいことや、求めるものは殆どない。
この大きな落差が、私の友だちに対する意欲減衰を生んでいるのかもしれない