ぼっちろぐ!

Eラン私理3女。進路模索中。

浪人時代に戻りたい

大学生活始まって3か月で、初めてぼっち浪人時代に戻りたいと思いました。

まあ今もぼっちだと思う人は多いと思う。

それでも、高校~ぼっち浪人時代に比べると、圧倒的に会話している。

高校時代に戻りたくないのは、高校はぼっちにとって居心地のいい場所じゃないから。

でも予備校は居心地が悪くなかった。ぼっちに対して風当たりが冷たいとかそういうのはなかった。

 

ただ、それは楽しいことも、苦しいこともない日々だった。今考えると。

今は、それなりに喜びもある。でも苦しいことも多い。

正直、今、人間関係全部やめたい。

何もかも忘れてただ眠りたい。と思う。

4月の頃の私は言った。「コミュ力のない私は意識的に鍛えないとダメ。今までコミュニケーションさぼれるだけさぼってきた奴のコミュ力なんて紙同然なんだから、できなくて当たり前。どんどん消し飛んでこい」と。

私は何にも知らなかった。こんなにも人間関係が複雑なことも、相手に自分の感情を伝えたり意図を伝えたりするのが難しいことも、何も。想像したこともなかった。みんな毎日顔を合わせてきゃっきゃうふふしてるだけだと思っていた。私はそれが一番難しいことだと思っていたけれど、もちろんそれだけではなかったんだ。

 

多くの人は、人間関係をゆるくやわらかくやり過ごしているのかも知れない。元々継続して人間関係を経験してきた人は、今更人間関係がんばるぞ!とか言わなくていいのかも知れない(多少存在はすると思うが)。

別にうらやましいとは思わない。うらやましく思ったところで私はそんな器用にできないと思うから。

 

私は今まで、人間関係がこじれてきたら切っていた。意図や感情がうまく伝わらないと面倒になって、距離をおくか相手の要求を丸飲みしていた。ラクといえばラクだった。一人でも注意してさえいればどうにかなっていた。

 

でも、浪人中に気が付いた。社会に出たら、相手の言いなりでいつも使われる人でいるのはなかなか辛いことかも知れないと。

友だちに本音が言えない人が、どうして上司に本音を言えるんだろう。

 

コミュ力増強を決意したはずだが、今揺らいでしまったので、もう一度確認と整理をしてみた。

今週は明日のプレゼン以外、レポートも課題もテストもありません。Sが確定している教科もちらほらしてきました。あっSとか書くと特定されるんでしょうか?

プレゼンしか無いんですけど、プレゼンがやばめ。もう提出期限がスーパーギリギリ(しかもアウトっぽい)だったので、減点覚悟してます。仕方ないので自分で挽回します。

 

 

そういえば、今回のコミュニケーションが単なる日常的な対話ではないということも重要な事実である気がしてきました。

Eランなので、生物や化学できない人、知らない人ゴロゴロしています。

分からない!って先生に相談できない人もゴロゴロいます(まあ多分けしかければ相談できるんでしょうけれど)。

危機感足りない人もいます(これはどこにでも一定数いると思うけど)。

私自身、一人でうだうだ悩んできた時期が長く、誰かに引っ張ってきてもらったという自覚があります。だから今度は、できるだけそういった人たちを引っ張っていける人になりたいんです。

そのために、レポート見せて、とかプリント見せて、とか今苦しいんだと言う人を見捨てることだけはしないと決めています。

あっこれ私の縛りプレイが原因だわって今気づいた。書いてて気づいた。私ばかなの?ってばかですが……。

でも私に依存することもそれなりに不正解だと思うんです。どこにでも私みたいな人がいるわけじゃないし、私のような人がいたとしても、精神ぎりぎりの人が多いと思うから。

だから、できるだけその人が対処方法を身につけられるような、そんな付き合い方をしていきたいのですが、これは難しい。難しすぎ。

まずお互いの意思疎通もままならない。相手もあまりコミュ力がある方ではないから、私が打つ手をよく吟味しないと、方向性が簡単にずれる。解決の方向にも向かわない。

私が放置して当人に考えさせる手法も既に試した。しかしその間に学力的な問題が無視できない状況に陥ってしまったために、中断せざるを得なくなった。

もしかしたら、私が下手に介入することは彼にとって、甘えを生んでしまうことになるだけかもしれないと最近では思い始めている。

学力的な問題が無視できない状況に陥った際、私は、「私の力では、試験結果を覆すことはできないから、担当教授の研究室に行って、追加課題を出してもらいなさい」と言った。それしか方法がなかったから。彼は頷いて、自分で教授と交渉し、課題なし、お咎めなしで済んだようだった。

もしかして、私は最初から「担当教授に相談した方がずっと正確なことが分かるよ」と言うべきだったのかもしれない。いや言ったか。でも強くは勧めなかったはずだ。私は当時、頼られることに酔っていたから。

 

最終的には自分でなんとかするしかないと、それでも多くの人が感じていると思う。

だから、頼れる人がいるとすがりたくなるのかもしれない。

でも、それは一時的な逃れに過ぎず、根本的な解決にはもちろん至らない。

そして大きな問題として、私は、解決できたら私に用事はないという事実に気づかれてしまうのが怖いのだ。

 

そのような心理も相まってか、今学期最も心に残った言葉ベスト・ワンは同率で

「アドバイスなんかする気もないくせに」

「頼れない人からの上から目線は無理」

だった。もう断言していいかもしれない。私は誤解を与えているかもしれないと思っていたし思いたかったが、誤解していたのは私の方だった。私が、立場を決めきれずコミュ力とか意志疎通とかいう言葉で誤魔化していただけだった。

もういい加減立場を決めよう。

苦しい時は自分のことを考える。(当たり前)

余裕があるときは、他の人の様子を見てもいい。アドバイスしてもいい。

でもおせっかいは焼かない。

友だちにはなれない。でもなぜか彼氏はできたんだよな……。

 

私は飯も食わずに何書いてんだろうな。でも心が落ち着いたのは確か。

こんなまとまりのない文章を読んでくれたあなた、ありがとう。